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能登宇出津あばれ祭り

約330年前の寛文年間(1661〜1672)、当地に悪病が流行したため、京都の祇園社から牛頭天王を勧請。盛大な祭礼を始めたところ、神霊と化した青蜂が悪疫病者を救いました。
喜んだ地元の人はキリコ(奉燈)をかついで八坂神社へもうでたのが始まりとされています。
高さ7m、50数本のキリコが町を練り歩き、2基のみこしを海や川、火の中に投げ込んであばれる勇壮な海の祭典として知られています。

千里浜海岸と昼間の宇出津町内

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13:00 15:00 15:30
金沢からは能登有料道路で約2時間。
途中の千里浜海岸は波うち際をクルマで走れるんです。
宇出津の街中。
能都町の名は「能登の都」から来ており、古くから港町として栄えていました。
街の衆が担いでいるのは「キリコ(奉燈)」、各町内から50基以上!も集まってきます。

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15:30 15:40 16:00
キリコの上にはたいてい子供が乗っており、太鼓に横笛、祭囃子を鳴らします。 ギャルもドンドコ! 一人当たり数十キロの重みが掛かっているようで、ちょっと気を抜くと腰砕けになりそう。

花火大会はビデオで撮影しました

クリックするとビデオ再生が始まります(約30秒) クリックするとビデオ再生が始まります(約1分30秒)
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オープニングの模様(約30秒) フィナーレの模様(約1分30秒)

祭り本番、大暴れタイム

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20:40 20:45 21:00
しばし休憩の後、キリコに灯がともり、後半戦スタートです。 こどもはお酒を飲まないので、大人よりタフかも(笑)。 今日は夜更かししても怒られません、小さい頃に夜遊べるってすごく嬉しかったですよね。

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21:10 21:30 22:00
巨大なかがり火の周りをぐるり一周。
隣には消防車も控えています。
次から次へと火に集まるキリコたち。さすがに観光客はロープが張られ入れないのでした。 この後も「アバレ」ながら各町内に戻りますが、到着は午前1時過ぎとのこと、「ファイトオ〜」ですねえ。

【あばれ祭りリポート】

実は、祭りの前に近くの(【いしかわや】の商品を作っていただいている)株式会社ヤマトさんに立ち寄り、「あばれ祭り」の事を聞くと、「自己責任で行って来い」などと脅かされました。岸和田の「だんじり」みたいにヤンチャらしいなのでしょうか?

恐る恐る(笑)宇出津の街中に入ったのは昼15時頃、ちょうどキリコが港に向かって練り歩いているところでした。
なるほど、地方の祭りにありがちな「北斗の拳状態※」に近いものがあります(※老人と子供と荒くれ者ばかりで一般人男性があまり見受けられない状態)。
キリコは、高さ7m、長さは5mくらい。これを20人くらいで担ぎますが、お囃子の子供達が4〜5人、夜間照明用のバッテリ、それにビール缶がケースで積まれているので結構重そうです。
角材が肩に食い込むのを防ぐため、担ぎ部にはクッションがついており、これがハム太郎やキティちゃん柄ばかり(笑)、不思議とさらしにハッピのヤンな兄ちゃんにマッチしてしているんですねえ(ヤンキー系軽自動車のノリ)。
こういった「不良系」と「カワイイ系」の奇妙な融合が見られるのは日本だけなんだろうか?と考えてみたり。

能登人は総じて酒飲みのイメージがあるんですが、果たして(おそらく朝からずっと飲んでいるのでしょう)みな既に赤ら顔で、ビール缶や酎ハイ缶があちこちで山になっていました。私も一杯呼ばれたいところですが、が、あいにく120kmの距離をクルマで帰らねばならぬので、お茶で我慢我慢。

花火大会は20時から、湾内の浮島が打ち上げ会場なので、岸壁の先端で見物する事にしました。
が、場所を間違えたのでは、と心配になるくらい、開始直前になっても誰も集まってきません。
宇出津の人は花火があまり好きでないのか、それとも本会場のキリコが大事なのか、とにかくガラガラの桟敷席で花火を楽しむ事ができました。

21:00、花火のあいたお休みしていたキリコが焚き火の周りをグルグル周り「あばれ祭り」の真骨頂。消防車が待機する中、どれだけ火に近づけるかがステイタスなのでしょうか。
諏訪の御柱祭、東大寺のお水取りなど、こういった「根性試し」こそ、祭りの本質なのかも知れませんね。

太鼓と横笛の祭囃子、それに「いやさかさっさー」という掛け声が全身に心地良く、日本人でよかったなあ、としみじみ。
これで一杯引っ掛けられればもっと気持ち良いんだけれど、と未練がましい事を考えてしまい、このまま見続けては帰れなくなってしまうので、後ろ髪を引かれつつ、22:00頃、能都町を後にしたのでした。